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 この・星の如く 虹の如く・浪人生活三年を語る・・は、佐藤憲一(二十七期)の文章であり、昭和十一年雑誌「考へ方」に発表された受験記です。

 佐藤氏は、昭和二十一年十一月三十日に本荘中学校英語科教諭を嘱託され、続いて昭和二十三年四月一日から同年八月二十三日まで本荘新制高等学校に勤務されました。今号の特集の中の、先輩諸氏による特別授業で「主権在民村塾開塾 憲法前文に帰れ」をテーマにした庄司一春氏が、この文章について触れられ、また座談会でも、工藤勇氏が本荘高校に勤務しておられた頃について述べていました。

 佐藤氏は一方で、現校舎と、前の旧校舎の改築期成同盟会会長も務められていました。母校のため後輩のため尽力下さった方でもあります。現在の校門に嵌め込まれている、「秋田県立本荘高等学校」の文字も佐藤氏の揮毫によるものです。また、七期二十八年間にわたり本荘市長も務められていました。しかしながら、平成十二年三月二十六日に御逝去されました。御冥福をお祈り申し上げます。

 こうした、本校における功績が計り知れない佐藤氏の著書・星の如く 虹の如く・を今一度読み、この創立百周年にあたり、情熱と意志の大切さを感じてくれれば、と思います。

 なお、この文章は白玲瓏・第三十七号にも掲載されており、編集者の江幡勝一郎氏は、次のように記しています。

 ・人間憲一が苦境の中に、雄々しくもつよく生きぬき、戦いぬき、ついに勝った魂の叫びがこの記録である。・

 われわれは、この精神(遺産)を継承・発展させていきたいものです。

 御遺族のゆるしをえて、ここに紹介することにします。                          (東)


星の如く 虹の如く

・・浪人生活三年を語る・・

佐  藤  憲  一

     此虹が人間の努力の影だ。

     あれを見て考えたら、前よりは好く分るだろう。

     人生は彩られた影の上にある。

             ・・ ファウスト悲劇第二部・・

    序     曲

 星とは人の児の運命であり、虹とは人の児の努力である。            

 人は哭き、疑り、悲しみ、そして喘ぐ。併し一切は流れ、一切は過ぎて行く。人々は諸々の困惑の中に、いたいけない力を以て魂の故郷へ漂泊しつゞけてゆく。而も時としてそれは運命の為に踏みにじられるかも知れぬ。

 然り、如何なる人の努力も、運命の鞭にくずれるかも知れぬ。・・と共に又@何なる運命も人の児のいじらしき努力に微笑むことをも忘れてはならぬ。

 一切は流れ、一切は逝く。人の児はそこにある限り哭きつづける・・ ただそれだけだ。

「星の如く、虹の如く」 ・・ 我とは虹の如く己が個性の可能性を具現せんとする一方、星の如く運命に信じて流るゝまゝに流れてゆかう。

 星の如く、虹の如く! これこそ過去幾度かの苦杯をなめて、私が如実に感じたことであり、同時に失意に哭きつゝ、誹謗怨嗟に人事の非を嘆く友に、捧げる言葉だと信ずるのだ。

    一 閑古鳥の啼く里に

 閑古鳥が啼く、山鳥が鳴く、そしてそれらを縫ふ如く行々子がしきる。その七月の秋田に、私は白南風に頬を打たれながら、再度の失敗を顧みて居た。四年の折は完全に力のなさ故に、五年の折は思い上つた自己の過信故に・・ 共に失敗に帰して、私は淡い愁ひに閉ざされて、浪人生活に入つて行つた。傲慢の気の失せぬ自分は、始めて自己の未熟を痛感した。私は田舎にあつて、僅かに「考へ方」誌上を通して全国の敵手の消息を知るのみだつた。併し、一方私は、「考へ方」に導かれて、叢書をマスターする事に之れ努めた。二度、三度赤い線と、書き入れとを残して私は一日十時間を守つた。朝は水恋鳥を慕ひつゝ水鶏に耳を傾けつゝ、まだ日の出でぬ山かひを水の辺りを散策した。鳥海に登つて山上の黙示に、星の啓示に夢の如く自らを星の児と呼んでは、幼き胸を躍らせた。

 新秋九月 ・・ 必勝を期して日土の講義に一切を忘れて精進した。全科一日もかゝさずに、白墨の粉を吸ひながら馬車馬の様に勉強した。予定とは何あらう、日土の講義と共に、遅れず聖戦に向ふことだつた。私は、数学は一問毎にカードに練習した。

 日土の人格教育 ・・ 藤森先生は仁、塚本先生は智、野原先生は勇と、「智仁勇の教育」に文字通り一心に突進した。力は増した、自信も増した、合同試験は五番以内だつた。

 浪々一年、世の屈辱憐愍と嘲笑との影に、「去ね  と人に言われつ年の暮」といつた路通の心をそのまゝに、たゞ小さくなつて過した一年を清算すべき時は来た。併し、戦中、風邪の身を以て、而も其の病を押切る精神力の不足の故に、私は敗退せねばならなかつた。

  力抜山分気蓋世 時不利分駐不

 されど我は、虞姫に訴へる代りに、今一度と起き上つた。

  勝ちて驕りて敗れては

  声を潜むる世の慣ひ

  姦邪の風を外にして

  独り辺土に十五歳

  稜々高く天を衝く

  男児の意気よ鳴呼絶えず

@ミネルバは三度我を阻んだ。マルスは三度我を斥けた。而も敢然として四度我は打倒向陵に邁進したのである。

    二 プルタークを心にして

 三度敗れた。人々は私の夢をせゝら笑ひ、他方面に進むことを切りに説いた、最早私は、私一人の小さな殻に閉じ籠る外に道はなかつた。「殻を破れ、殻を破れ!」・・ 心に叫びつゝ私は、私の殻にもぐり込んだ。東都の空に私は如何に焦つたことか。私は「入る可かりし者」といふ気を打消し得なかつた。私は歯を喰いしばつて異郷の空に慟哭した。

 雨の日だつた。私は神宮に歩んだ。雨にぬれた舗道を踏みつゝ私はその夜の講演会が私をどう変へて呉れるかを期待しつゝ、万感に胸迫る思ひがした。私は何者か強烈なものに鞭打たれたかつた。私は昨年の如く芭蕉の境涯に落着ける男ではなかつたのだ。

 鶴見 輔、賀川豊 、河合栄治郎 ・・ 彼等の一言一句に、私は結果に於て其時 の自分の「英雄」に対する考を捨て去るべく余儀なくされた。勿論如何に其人達が理想主義的、自由主義的色彩に濃いとは云へ。

 私は直ちにプルタークの英雄伝を手にして、五千年の人類の世界を考えた。嘗て幾多先人が熱中した如く、私は、突然古典ギリシヤとローマとの世界を逍遙した。私は理想の児として自分を新たに意識した。

 星が光る、星が招く、星が導く ・・ 一切は星の児をいよ深く、大きくするよすがだと思はれた。私はそこに又新しい意気を掴み得たのである。失敗の悩みはこゝに、神秘的な色彩を以て力となり熱となつた。

  あした草野の武蔵野に

  白雲遠く棚引けば

  ゆうべ富嶽の霊峰に

  久遠の星斗きらめけば

  高き理想の憧憬に

  無限の空を仰ぐ哉

 そして傍ら職に奔走した。蓋し苦学の第一歩はこゝである。蒲田で女学校の助手を頼まれた。さる新聞屋を訪れた。それからあれ、それから何・・ 併し所詮 rollingstone に過ぎなかつた。そして落ち着いたのが新宿旭町貧民窟の牛乳屋であつた。苦学生を集めて給料もなく酷使する以外何もない家だつた。コーヒー、レモン等を各連隊・・ 麻布一連隊、近歩四、赤坂の連隊、士官学校 ・・ の酒保に於て販売するのがその仕事であつた。朝五時から夜十一時 、いろ  の雑務を終へて寝につけば南京虫の襲来に悩まされた。余暇を盗んでプルタークを読み、考へ方を研究した。全く真剣に努勉した。

 雨の日、合羽もなしに合羽坂を、二百本三百本の牛乳を後ろに自転車をひいた日のこと、朝早く眠りながらペタルを踏んだ愛住での道、汗の乾くのが、南京虫に攻められる様な感じのする日、そしてそれにも増して同好の人々の覇気のなさ、小乗的な諦観、要領の良さ・・ 凡てが年足らぬ自分には不如意でもあり癪でもあつた。

 ……かくして十二月。合同試験は来た。国漢一六〇、英語一三五、数学一三〇で悠々トップを切つた。私はその結果に、柏葉の夢は遂に我が掌中にありの感を深くした。而もその勢を駆つて総括講習には力の限り暴れた。英語一六二、国漢一三七、の平均でトップを切り、数学は一二番の成績だつた。聖戦の近づくと共にいよ  ピッチを上げた。力は又ぐん  増した。私の意気は正に当る可からざるものだつた。

  意気にほこりし若人が

  ひそかに撫する 鉄 の

  剣の冴えを誰か知る

  双腕の力を誰か知る

 かくて三月、全国の誌友に、考へ方誌を通して、「見よ、信ぜよ、而して断ぜよ!」の言薬を吐いて聖戦に向つたのである。正に柏葉は我に幸するかに見えた。併し何事ぞ、一敗地に塗れて、「今文」に、長田新先生の激励に危くも又立ち上るに到らうとは。

 ……私は、此れこそ真に運命ではなからうかと、暗然として雪の東都を夜更くる 歩みつゞけて居た……。

    三 星の如く、虹の如く

 私は呆然とした。私の前に死の影が襲ふて来た。星を無条件に見て、伝説と神話を漁つた自分は若かつた。虹を口に「努力の影」に生きようとした自分も幼かつた。概念の上に虹と星とを自己に見出そうとした自分は若かつた。

 今や四度の敗北は、現実の苦悩と不如意とを私に投げかけた。私は滅びさうになつた。私は死と生との間に、幾日か幾夜か呻吟した。私は己が個性をして焼きつくしてどこへゆくのか。余りにも恐しい運命の前に倒れようとした。虚無が私を支配し、否定が心に巣を喰うた。併しその頃、五度目の検討としての「フアウスト」が、今 になく心に響いた。私は同時に老子に旅し、荘子に旅した。荘子の詩的な自然観は自分の当時の死生観を一変さした。又一方、ロマン・ローランの「べートベン」を読んだ自分は、Durch Leiden Freude! ・・「悲しみを経ての悦び」に生きようとした。と共に追々と哲学に走りかけてゐた自分に「止揚」という言葉が響いて来た。この語が、この二字が如何に自分を力づけて呉れた事だらう。私は幾日か、ただ一人黙想した。煩悶した。私は私の凡てが徐々に変りかけて来た。

 私は、否定をも肯定として受け入れたい気になつた。「生を否定する」といモ代りに「死を肯定する」といいたいような、語感の上にさえ、否定と虚無といふものに強烈な反感を感じた。

 酷運よ、悪運よ、我は汝を呪ふぞよ、汝に永劫の闘を挑むぞよわしはお前の咽元を喰ひ破りたい。お前の胸座に喰ひつきたい・・ 私は全く運命を呪はうとさへした。併し運命は到底人の智力の上にせゝら笑ふに過ぎぬことを知つた時、私は情と意との世界に進むことを考へた。私は矛盾の中に自らを投げ入れようと考へた。私は自然に叛逆すると共に自然に順応しようと考へた。荘子とべートべンに生きようと決心した。

 それからだ、偉大なる精神力を抱いたのは。そして又不如意却つて如意、如意却つて不如意と観じて一切を流るるままに流さうと決心したのは。もはや私は何物をも恐れなかつた。日土で毎日休むことなしに続けたあの藤森魂はこゝに改めて自分のものとなつた。

 私は試験の結果に文句を云ふ事を止めた。今一度何もいはずに天に試めさう。若し今一度我を阻まばそれは天我を阻むのだ・・ といふ感を痛切に感じた。何でもいゝ私は今一度最後の戦を闘ふ決心をした。一切の智的懐疑を捨てよう、言葉は空虚だ。理屈は毒だ。事実のみが一切を決定するのだ!そして浪人三年の生活に突入したのだ。

 三年不飛、三年不啼 ・・ 遂に我はこのまゝ朽ち果てゝしまふのか。・・ 併し、私は私を信じて虹の児と呼び、己が運命を信じて自ら星の児と呼んだ。

 星の如く、虹の如く!私は此の言葉を心に、五度向陵に歩武を進めたのである。

 市役所の臨時雇として、上野のプールに姿を表したのは、私の心が上の如く変化した後だつた。六月十三日・・ この日より朝八時から夜六時 、夜間開場となつて九時 十三時間労働、日給は一円だつた。

 而もその頃家のなかつた自分は、一時、本郷の友人日照のもとに起臥した。仕事を終へて帰つては、日照が日土で得た講義を二人で復習した。朝は毎日の如く根津権現に散歩した。蚊の多い境内に立ちつくして、二人は共に来るべき年の勝利を誓ふのであつた。

 その中、高円寺にさる人の空家を発見して置いて貰つた。殺人の匂を孕んだ、だゞつ広いその二階建の空家に臘燭を灯して起臥したのだ。そのうち家主の好意で乏しい電灯の光に恵まれた。私は野蛮人が始めて光を、火を用いた折の歓喜に触れ得たようにさへ思つた。私はそこで又五十六回目の考え方叢書を一時、二時 やりつゞけた。併し朝早く出ては夜遅く帰る自分故に、「不良少年が空家に出入する。」といふ]判を立てられた。全く癪だつた。併しやることは他にあると思つて、黙々といそしみ続けて行つた。雷鳴の夜は、たゞ一人自然の猛威に対し、良夜なれば又月に語つて、営々とこれ人間修業に努めた。蓋し、今年の失敗は人間の未熟にあると考へたからである。

 浪人三年に入つての苦学生活、それは私の魂の仕事であつた。血の滴りだつた。最後の脈膊であり、ゲツセマネの不安の汗であつたのだ。

 併しこの空家の起臥中に、母は壊疽菌のために危篤に瀕した。その報を受けた私は慄然とした。私には一切の世上の成功も名利も要らぬと思はれた。思へば私の努力も凡て母への愛を措いてどこにその力が与へられたらうか。私は、母の為に生きて居たのであるまいかと思つた。併し、幸ひ母はその手を不具にしたのみで生命は取り止めた。私は今こそ己が星の地に墜ちざるを祝福した。

 併し、それも束の間、その仮の住居も遂に去らねばならなかつた。借主が出来たという家主の言葉に、内心哭きつゝも笑つて去つた。流転幾度、遂に一茶の如く、異郷にあつて身を置くに処なきを哭いた。されど哭く余裕を持たばこそ、善後策を考へた自分は、一と先づプールのコンクリートの上に縁台を据え、事務所よりの布団に、蒸されるように夜を明し始めた。併しさうなると朝は庭球をやる人や、松坂屋の女の人達が泳ぎに来る為に、五時過ぎには夢を破られた。夜は水換へなどの為に十二時近くなる事が少くなかつた。而も二時、三時と考へ方をやり続けた自分は、身も心も綿の如くに疲れ果てた。その中に私は総試を出さうとして如何に焦つたことであらうか。が、心ゆく 答案を作り得ずにそれを放棄して来るべき時を待つた。

 やがてプールは終つた。その以前飯田橋の紹介所を訪れて職を頼んでおいたが無く、直接社会局の方面係長を訪れた。貧困証明書が下の如く作られた。「本人憲一は昭和八年中学校卒業後上京し、一時東京市臨時雇たりしが、本年九月失職し目下就職運動に奔走中にして辛うじて糊口しつゝある窮状なり」と、一方給料の残りを以て高円寺に安い下宿を得た。日の射さぬ便所に近い凡そ「巴里の屋根の下」の佗住居であつた。私はそこで応急部からの通知を待つた。毎日、毎日、私は職の来るのを待つた。

 ・・ 併し、糧食はつきた。金は入らなかつた。而して職はなかつた。辛うじて考へ方社の図書券・・ 月に十二、三枚は来た ・・ を売つて食を取つた。一日、二日飯を取らぬ日が続いた。而も国へ帰れぬ自分であつた。家をクつた。更に母は手を失つた。私は血路を開くべく東都に残らねばならず、而もその道さへ遙かであつた。一切は血と飢とを残して過ぎて行つた。私は二時、三時、オリオンを眺めつゝ幾度冬近い空に泣いたらう。霜月に入つた。霙がやけに空つ腹に泌み込んだ。飯が喰へづに空しく死ぬか、死ぬ 頑張り続けるか・・ 私は後者の道を選んだ。一日拾銭の強飯一つ。一日拾銭の支那そば一つ。そして私は職の通知を待つた。……併し一切の運命は自分を去つたかに見えた。私は依怙地になつて平気を装つた。仙年香を買ひ、尺八を手にした。私は香に包まれて、手すさびに尺八を吹いた。依怙地は遂に安住と変じ、更に静かな心境に導いた、一日少くとも二、三時間は座禅をくんだ・・ この私を見て、いろ  と力になつてくれた同宿の人が居た。又日照の心からの助力があつた。

 私の性格は私の運命であつた。私は、その苦悶と蹉跌と矛盾との中にさへ美と調和を見ない訳にはゆかなかつた。私は同宿の人の親切に、人生の美を、調和を信じて涕泣せずには居られなかつた。

 而もその間、私は考へ方叢書を通して基礎学科の整理に掛かつた。全くそのノートの力は偉大であつたと今も考へて居る。懸問も全部提出した。併し、一切は私の餓死を迫らせるだけとなつた。私は去るべき時の到るを知つた。遂に万斛の恨をのんで一月十三日、東都を捨てゝ吹雪く秋田に退いた。以後は、毎日、雪の中を町の図書舘に母が心づくしの麦飯を糧に、死に物狂いで「考へ方」の整理に努めたのだ。

    四 見よ、信ぜよ、而して断ぜよ!

 上京の日は来た。辛うじて取揃へた旅費を手に、五度の聖戦に発つた。一高の友の好意によつて宿は準備された。彼は自分の寮を退いて下宿し、自らは旅立つて自分の為に蒲団をのこした。

 私は血と汗との聖戦に臨んだのだ。来らば来れ、幾千の敵も。

 星の如く、虹の如く! 人生の矛盾と調和とに、永 遠と調 和と運 命とを心にした人間憲一。闘ひだ見よ、信ぜよ、而して断ぜよ!自らさう叫びつつ私は人間憲一の凡てを以て闘ひ抜いた。「猫の足は四本!」真に一切を天に任じて闘つたのだ・・ そして三月 一日の黄昏、私は不思議に落着いた心を以て、日土の藤森先生と語つて居た。五十九冊の雑誌考へ方は遂に私に勝利を齎した。やつと私も丘に登れたのである。

    五 むすびの言葉

 私は今私の拙い稿を書き終へた。私は三田の一寓に居るのである。夕闇が迫つて来る。幾日かの鬱憤を孕んではは黒雲に掩はれて来た。無気味な静寂だ。風だ。音だ。

  暗雲低く乱れては むせびて悩む声さむし

  讒誣誹謗の夜の風 怨嗟嫉妬の朝の雨

  狂ふ嵐に吹く風に 橄欖根ざし堅かりき

見よ!今し黝然たる雲は、天は、大地を圧して蠢めくではないか。

おゝ! 稲妻だ! 雷霆だ!

 何といふ息苦しい刹那だ、何という力強い刹那だ、この力、この迫力。これこそ聖戦の緊張だ。覇気だ。おゝはためく雷鳴だ。

 友よ、興奮で、この熱で、この迫力で、いざさらば。

 励め! さらば、ゆけ! 星の如く 虹の如く!そこに一切は君等の為に凱歌を奏するのだ……。