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特集 創立100周年

校長式辞 校長 高 橋 一 成

 霊峰鳥海山の燃え立つ紅葉が蒼天に映え、爽やかな清風が子吉川の川面に吹き渡る今日の佳き日に、多数の県内外各界のご来賓、並びに同窓生、関係各位のご臨席をたまわり、ここに秋田県立本荘高等学校創立百周年記念式典を、極めて盛大にかつ意義深く執り行うことのできますことは、教職員・生徒一同、誠に感激に堪えないところであり、心よりお礼申し上げます。

 顧みますと、本校の創立は遠く明治三十五年に遡り、県下四番目の中学校として誕生いたしました。五月に桑畑そのままであった桜小路の『桑を切り、地を均し、道を開き、茨を倒し』、式場をしつらえ、二学級九十七名の生徒数をもって、開校式を挙行したのが濫觴であります。

 時は、まさに我が国が、近代化の歩みを一層加速させつつあった時代であります。『国家百年の計は、教育にあり』と申しますが、時の政府は教育こそが近代化推進の鍵を握っているとの確信をもって、教育の大改革に取りかかっているときでありました。

 今にして考えてみますと、本校は明治の近代化政策の一環として、重要な意義をもって誕生した学校であり、その一世紀にわたる歩みは、ほぼ我が国の興隆期に当たる二十世紀と軌を一にしており、確かな年輪を重ねてきたと申しても、過言ではありません。

 しかし、明治、大正、昭和、平成と激動と波乱の渦巻く時代の中で、学制校名、教育内容、環境の転変など、幾多の艱難にも遭遇してまいりました。

 仮借なく押し寄せる時代の波が、色濃く投影され、前進と停滞、栄光と苦難が絶えず交錯し、本校百年の道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

 それにもかかわらず、数多くの曲折を経ながらも、今日盤石の重みをもって揺るぎないものとしてあるのは、国家・社会の繁栄は有為な青少年の教育にあるとした先覚・先賢の叡智と、この郷土の繁栄を願ってやまなかった地域社会の人々の熱意と卓見に拠るものであります。

 さらにまた、本校に在職し、学問を奨め、生徒を愛し、奨励して倦まざりし歴代校長をはじめ、真摯な教育的情熱と将来を鋭敏に見通す教育的識見を備えた教職員、そしてまさに玲瓏同氣、同氣相求むるところ、互いに切磋琢磨する気風に富む、向上一路の道を歩んだ生徒諸君が、一丸となって学校の隆盛に努めたからであります。

 百年の星霜を閲してもなお、そこに貫かれている精神は、刻苦精励して自己の進路を開拓する精神、自由と正義を求める理知的精神、先駆者的な進取の精神などであり、これらの精神によって支えられた伝統が、生命のあるものとして生き続け、即ち創造の営みが、伝統を化石とせず、活きた力として働くことを可能にしてまいりました。

 このような伝統に導かれて、自由で節度ある学舎が構築され、質実剛健にして気品高く、闊達明暢な校風が見事に形成され、現在も脈々と流れております。

 このことは、とりもなおさず、本校が県内有数の名門校として一貫して県下高校教育の中核的存在であることの証左であり、また、あまねく世の人々の評価するところであります。

 この間、右文尚武・質実剛健・玲瓏同氣の校標のもと、本校で学ばれ、社会に雄飛された俊秀は、二万五千有余名を数えております。

 それぞれ人生の黎明期とも言うべき多感な十代を、輝く伝統と由緒深い本校で学ばれ、夢多き青春の理想を胸に秘めながら、学問の火を掲げ、或いは自己の限界に挑戦するスポーツに励み生涯を貫く強靱な精神を培われ、その時代時代にあっては、国家や社会の期待に見事に応え、各界各層において、その優れた能力を遺憾なく発揮され、世界の発展に貢献されていることは、本校の誇りであり、また、本校に学ぶ生徒諸君の大きな心の支えとなっております。

 社会の激変と風雪に耐えた本校百年の歴史を顧みる大きな意義ある節目に当たり、二十一世紀の輝かしい旗手となるべき生徒諸君は、今、本校に学び幸いにしてこの式典に参列しております。

 その中で諸君は、諸先輩が営々として築かれた『玲瓏同氣百年の歩み』を偲び、古きものの中に、伝統の中に、新たに見直すべきものを見出し、愚直にそれを実践していく営みを大事にしつつ、『新たな世紀の創造』のために精神溌剌たる校風を生成発展させ、後輩に引き継ぎ、奮起すべき責務を持っております。

 そもそも、伝統は単なる長さや古きをもって誇るべきものではなく、かつ惰性であってもなりません。

 また、そのなかに、埋没し、沈潜して、いたずらに拘泥するものであってもなりません。

 学校は一つの生命体であり、生徒諸君一人一人が、瑞々しい感性と豊かな知性のもと、校歌に謳われている『無限の慨を示しつつ』、各人の気高い理想を追求して、雄々しく歩みを進め、真摯な実践を積み重ねること以外には、あり得ないことを銘記すべきであります。

 今や激動する国際社会において、日本の将来の道も平坦なものではなく、新しい転機を迎えようとしています。

 私どももまた、百年の歴史を顧み、今後一世紀の歩むべき道を見極め、光輝ある校史に新たな一頁を画するための努力を誓うものであります。

 終わりに、此の度の学校創立百周年記念事業の一環として執り行われました多目的運動場建設をはじめとする諸事業には、実行委員会、同窓会諸氏、並びにPTA、教職員及び一般有志の方々の並々ならぬ精魂が込められております。

 このすばらしい贈り物の趣旨を体し我ら一丸となって、本高教育の中に具現化し、新生本荘高校の高揚と進展に努め、各位のご期待とご厚情に報いる所存でございます。

 改めて関係各位に深甚なる謝意を表し、併せて本校の将来に、今後とも変わらぬご支援を賜りますようお願い申し上げ、式辞といたします。

来賓祝辞 秋田県知事 寺 田 典 城

 本日ここに、秋田県立本荘高等学校が創立百周年を迎えましたことをご臨席の皆様と共に喜び、お祝いの言葉を申し上げます。

 一九〇二年、明治三十五年の四月、本校の全身である秋田県立本荘中学校が、県下四番目の中学校として、旧校地本荘市桜小路に創立されました。また、戦後の昭和二十三年に、現在の秋田県立本荘高等学校と改称され、昭和六十三年、新校舎が現在の陳場岱に移転されております。本校は、百年の歴史の中で、定時制課程の併設、分校の開設、そして、商業科の新設等を経て、着実に発展を遂げて来ました。その間、本校を巣立った卒業生は、二万五千人を超える数となっております。

 「右文尚武」「質実剛健」「玲瓏同氣」の校標の下、多感な青春期を本校で過ごした多くの卒業生たちが、郷土秋田はもとより、国の内外において各方面でご活躍されていることは、周知の事実となっています。今後とも、本校に対する県民の信頼と期待は、大きくなることこそあれ、変わることはありません。

 本来、歴史と伝統とは、日々の学校生活の中に確かに生き続け、常に新しい創造性をもたらすところに、真の価値があります。全国大会での優勝という輝かしい実績を、端艇部をはじめ陸上競技部、山岳部、弓道部等、数多くの部が築き上げ、そして、かつて、いつの時代にも自らの可能性に挑戦し、学業に励み、未来を切り拓いた同窓の先輩たちがいたことに思いを馳せ、その功績に敬意を払うとともに、在校生諸君も進取の精神の下、新しい本校の歴史を切り拓く気概を持ち続けることを、切に願ってやみません。

 世界は、最もドラスティックな変革の時代を迎えています。民族、宗教、文化を越え、かつ、環境と共生する地球市民社会という新しいパラダイムの転換が求められています。

 それゆえ、現代ほど教育の重要性が認識されている時代はないと言っても過言ではありません。人類社会の持続的発展に寄与する人材の育成が、洋の東西を問わず期されています。時代の変化に対応できる問題解決能力と、自ら能力を磨くことができる基礎的能力を兼ね備えた人材の輩出が求められているのです。

 秋田県が目指している、豊かな人間性をはぐくむ学校教育も、「あきた21総合計画ー個性と創造力をはぐくむ教育の推進ー」により、一層充実・発展してきているところです。

 本校が、高きをめざす生徒たちに依然として夢と希望を与え続ける責務を果たし、かつ本校において、社会が求める有為な人材の育成という、学校教育の不易の使命が、全うされることを、念願してやみません。

 最後となりましたが、これまで本校の発展にご尽力されました教職員、PTA、同窓会、そして地域の皆様に、深く敬意を表すとともに、百周年を機として、在校生の皆さんの更なる精進と、本校教育の益々の発展、そして、ご臨席の皆様の変わらぬ本校へのご支援を祈念いたしまして、祝辞といたします。

秋田県教育委員会委員長 米 田 愛 治

 秋たけなわの佳き日、「玲瓏同気百年のあゆみーそして新たな世紀の創造」を合い言葉に、本荘高等学校創立百周年記念式典が挙行されましたことは、誠に喜ばしく心からお祝い申し上げます。

 さて本校が、明治から平成にわたる幾多の世相の変遷のなかにあっても、その時代、時代に果敢に挑戦しながら、地域の期待に応え、営々としてその歩みを続けて参りましたことは、県民の皆様の広く認めるところであります。また校標に、「質実剛健」「右文尚武」そして「玲瓏同氣」を掲げ、人間の尊厳と精神の自由を強調し、人間愛を基調にした本校教育は、今や計り知れない信頼を生み、親子三代にわたる在籍の例も多いと聞き及んでいます。さらに同窓の方々は、本県はもとより全国各地、海外においても、幅広い分野で活躍雄飛されております。揺るぎない確固たる歩みにより、本校はこの百年間で輝かしい伝統を築き上げ、本県を代表する高等学校として発展を遂げて参りました。

 在校生諸君。諸君もまた先輩たちに倣い、日々の生活の中で、校標を実践し、本荘高校生としての誇りと責任をみなぎらせていると聞いています。校標が現在もみずみずしく生気を保っている学校は全国でも数多くはないと思います。

 ところで諸君には、この百周年に巡り合えた幸せを喜ぶとともに、この機会に本校の先輩たちが刻んできた歴史を深く感じとっていただきたいと思っています。昨日は同窓の方々による特別授業が行われたとのことですが、過去百年という歴史には、その時代、時代を生きた先輩たちの未来を切り開いてきた進取の精神が明らかにされているからです。二十世紀という一つの時代が終わり、新たな時代の幕開けとなった今日ですが、現代社会における高度情報化、少子高齢化の問題のみならず、地球規模の環境の悪化、経済のグローバル化など人類はこれまで経験したことのない難題に直面しています。こうした先行きが不透明で激動する社会の中では、ひとりひとりが様々な視点から自分の座標を確かめ、主体的に自己陶冶に努めていかなければ人生を開拓し続けていくことはできません。このような時代だからこそ諸君には、怠ることなく先輩たちの築き上げてきた道を学び、将来を見通す能力と創造性を身につけていただきたいと思うのです。さらには各界のリーダーとして時代や社会の要請に応え、貢献できる資質をも養い、輝かしい百年の歴史に新たな一ページを書き加えてくれることを切望します。

 終わりに、これまで本校教育の充実発展に寄与してくださいましたPTA、同窓会、そして地域の皆様に深く感謝申し上げますとともに、本校の新たな百年が更なる発展の一路をたどることを祈念して、お祝いの言葉といたします。

本荘市長 柳 田   弘

 ただいまご紹介をいただきました本荘市長の柳田弘であります。私は本校の四十五期生として卒業(昭和二十五年)いたしました。今日の百周年記念式典を、心からお祝い申し上げます。本日は秋田県知事、国会議員の村岡代議士をはじめ各位のご臨席のもと、このように盛大に開催されましたことを心から嬉しく存じ上げますとともに、記念事業を挙行するにあたり、伊藤恒実行委員長さん、村岡同窓会会長さんはじめ関係する皆さんのご苦労に対し、心から敬意を表したいと存じます。在校生の皆さんにはこの百周年という記念式典に参加することができた喜びはこれからもずっと思い出として残ることでありましょう。ところで本校は明治三十五年(一九〇二年)に創設されましたが、当時二十世紀の黎明を告げる鐘の音色はどのような響きだったでしょうか。本荘に中学校ができるという鐘の音は青少年たちにとって喜びに高鳴る鼓動の響きが聞こえるような気がいたします。明治から大正、昭和そして平成の時代を迎えましたが、その間、経済恐慌、戦争など様々なことがありました。なかには、学徒出陣で戦陣に散った先輩もいた、本当に苦しい時代でした。しかし、それに負けることなく勉学し、リーダーとなって地域を発展させたい、国のためになろう、列強国に追いつこうという意志を持って学んだ先輩のことを思い出します。私は桜小路の古い校舎に(昭和十九〜二十五年)学びました。その古い机には先輩たちが刻み込んだ誓帝大、誓士官学校、あるいは青春の悩みなど先輩の魂の伝わる机で六年間学びました。戦後の虚脱感の中にあっても勉強こそが吾々の責務と希望を持ち得たことは今もって得難いものであります。百年の歳月の中に学制改革があって中学校から高等学校に変わり、また校舎も桜小路から陳場岱へ移りました。当時桜小路の土地は六郷主水の屋敷、大家老の屋敷跡で、とても格式の高いところに県立本荘中学校として建てられたのであります。当時の本荘町をあげての喜びと希望を託した表れでありましょう。戦後は、皆が力を合わせてがんばっていこう、伝統に恥じないような行動をしようと今日に至ったのでありますが、大変喜ばしいことであります。今日ここに百周年を迎えての金字塔が立てられました。私は思います。これからこの金字塔から有為な人材を多く輩出してほしいと願うものです。この後の一五〇年、二〇〇年にはこの金字塔がどのような塔に成長しているでしょう。きっと質実剛健、玲瓏同氣、それをモットーとして本荘高校がさらに発展していくことを信じています。本荘高校のあるこの本荘市も一市七町による新たなまちづくりを目指しておりますが、この地域の発展は本荘高校の歴史と伝統あっての発展と言っても過言ではありませんから、これからはますます本荘高校が発展されることを、御祈念、御期待申し上げまして一言お祝いのあいさつといたします。

 

生徒会長あいさつ 生徒会長 長谷川 知 亮

 登校のたびに見上げる桜坂の木々の葉も、次第次第に身を染め始めています。秋の爽やかな空気に包まれた今日の佳き日に、秋田県立本荘高等学校の創立百周年記念式典が盛大に行われますことは、私達在校生一同にとってこの上ない喜びです。また多数の来賓の方々、先輩の皆様方のご臨席を賜り、共に祝い喜んでいただけますこと、誠に光栄であり、在校生を代表いたしまして心からお礼申し上げます。

 さて、百年という月日の重みは、私にとっては想像を超えるものがあります。しかし、明治から平成に至る間、多くの先輩の皆様が、努力を重ね積み上げてきたたしかな足跡をたどるとき、私は今さらながら本校に学ぶ幸せを感じ胸を熱くします。

 学業はもとより部活動における全国レベルでのご活躍、卒業後の日本国内外幅広い分野でのご活躍は、まさに校標にあります「右文尚武」「質実剛健」の実践であり、私たち在校生の大きな励みとなり誇りともなっています。

 また、創立百周年記念事業においては、「玲瓏ドーム」の建設や先輩の皆様による「特別授業」など、ご卒業後も在校生のために心を尽くされてくださいますことは感謝の念に堪えません。今年五月の海外派遣事業、アメリカミネハハアカデミーへの訪問においては、私自身気持ちを新たにさせられる貴重な体験を数多くしました。この事業はこれからも両校の校風に新たな風を巻き起こし続けるだろうと確信しています。校標の、互いに磨き合う「玲瓏同氣」の輪が海を越えたのだと嬉しく感じております。

 ところで、本校が歩み続けてきた二十世紀は、激動の時代と言われています。二つの大きな戦争がありました。科学技術と市場経済とが、体制や文化の違いを乗り越えて浸透していきました。さらに、人間、物資、資本、情報、そして環境破壊と、あらゆるものが国境を越えグローバル化し、それに伴って近代の様々な価値基準や制度が問い直され、解体させられました。しかし、依然近代的な生活を夢見る人々が多く存在し、その一方で、経済格差や地域紛争、人口爆発によって難民となり、苦しい生活を強いられている人々が跡を絶ちません。

 これにつながる二十一世紀を生きる私たちにとって、何を考え、何を求めて生きて行くべきかは、今、重要な問題であります。

 過去とは失われたものではなく、現在を支え、未来を拓く指針であると言われていますが、この節目の年に当たり、先輩の皆様が歩んできた二十世紀の足跡をたどり、現在を理解し直し、未来の人生と世界の問題に、今、私たちは誠実に向き合っていかなければならないと考えております。

 最後になりましたが、このような、喜びに満ちた創立百周年記念式典に参加できる巡り合わせに深く感謝するとともに、この節目の年を新しい第一歩とするため、決意を新たに明日へ向かうことを誓いまして、生徒代表のあいさつといたします。

記念講演

講 師 竹 内   智 先生

演 題 「二十一世紀をいかに生きるか

      ・ 持続可能な社会への挑戦」

講師プロフィール 

 昭和二十九年十二月十九日 由利郡金浦町生まれ(四十七歳)

 昭和四十八年三月     秋田県立本荘高等学校卒業

 昭和五十二年三月     慶應義塾大学工学部計測学科卒業

 昭和五十二年六月     山梨大学助手(工学部)

 平成四年六月       山梨大学助教授(工学部)

 平成八年十一月      第三十八次日本南極地域観測隊越冬

              隊に参加 観測主任を務める

 平成九年三月       帰国

 平成十一年四月      山梨大学工学部循環システム工学科

              教授 現在に至る

専門分野・研究内容

 ・プラズマ物理の理論解析と計算機シュミレーション

 ・新方式加速器の理論解析

 ・現在 地球規模の環境問題を視野に入れ循環型社会の構築に向

  けた教育研究に携わっている

生徒海外派遣

〜米国ミネハハ

   アカデミーとの

      姉妹校提携〜

教諭 西 山 光 子

 二〇〇二年は、本荘高校にとって創立百周年という大きな節目の年だった。百周年記念事業として、生徒を海外に派遣し、国際交流を深めるとともに、次代を担う視野の広い人間を育てる目的で、海外の学校と姉妹校提携を結ぶことになった。前年度、姉妹校選びが進められ、最終的にアメリカミネソタ州ミネアポリスにあるミネハハアカデミーが姉妹校に決まった。そして昨年五月、実際に姉妹校提携のために学校を訪問してきたので、その時の様子などを感想を交えて紹介していきたいと思う。学校のある地域についても少々ここで紹介しておく。ミネソタは五大湖近くに位置する州で、自然に恵まれ気候的にも東北地方と似ていると言われている。実際、時にはマイナス二十度になるほど冬は厳しい。とはいえその州都であるミネアポリスは大リーグミネソタツインズのドーム球場や、全米最大のショッピングモールもあるかなりの都会である。そのミネアポリスにあるミネハハアカデミーはクリスチャン系の私立学校で、今年九十周年を迎える伝統校である。

 五月八日、高橋校長、伊藤成年先生、生徒会役員五名、私の計八名でミネソタへ出発する日がやってきた。約十二時間のフライトの後、無事にミネアポリスに到着した。入国審査を終え到着ロビーに行くと、コーディネーター役のカールソン先生とホストファミリーの一人であるマさんが笑顔で出迎えてくれた。車で学校に向かう途中、ミネハハパークという公園に寄り、滝を見せてくれたがその名前もミネハハだった。滝の近くにはインディアンのカップルの像があり、「ミネハハ」というのは元々はその女の人の名前だと言われているらしい。独特な響きの名前は先住民であるネイティブアメリカンの名残のようだ。ミネソタに源流のあるミシシッピ川も、彼らの言葉で「大きな川」を意味すると言われている。その後そのミシシッピ川も見てから、学校へ再び向かった。学校に着き、ホストステューデントと対面して自己紹介などをしてから、生徒達はそれぞれホームステイということになった。

 翌日は、学校で我々の歓迎セレモニーと姉妹校提携の調印式を行った。会場は真新しい体育館で、観客席が左右に設置されている立派なものだった。生徒達が次第に観客席に集まり、適当な場所に座って友人と話をする様子が見えてきた。この状態でどう始まるのだろう、と少々不安だったのだが、オニール校長がフロアからマイクで生徒達に語り始めると、生徒達は話を聞く態勢になった。切替が実にすばやかったことがとても印象的だった。その後の高橋校長の挨拶の時は、日本語の響きにも興味を持った表情で聞いたし、生徒達の英語の挨拶に対しても会場から返事がくるなど、ごく気さくに対応してくれていた。最後には日本の国歌を生徒達が演奏してくれて、非常に温かい雰囲気で迎えてもらった。集会が終わると、近くにきて、知っている日本語を言ったり、日本に行ってみたいと話す生徒もいて、日本への関心も高いようだった。その日から生徒達はホストステューデントと一緒の授業に出させてもらうことになった。彼らにとっては制服のない自由な雰囲気というのが最初の印象だったと思うが、二十人程度の少人数で行われる授業で意見が活発に交わされる様子を見て、勉強に向かう意気込みが全然違う、と強烈に感じたようだ。その日は我々教師陣も授業参観をしたり、地域のボートクラブの艇庫を見せてもらったりした。ミネアポリスはボート競技の盛んな地域だそうで、そこに収められているボートもかなりの数だった。ミネハハのボート部自体は四月にできたばかりで、その時はまだ水上では練習していない段階だったが、新しく迎えたコーチの指導のもと、二階の練習場で熱心にトレーニングに汗を流していた。

 三日目は、生徒達が授業を受けている間、我々は運動部総主任のアンダーソン先生と話すことが出来た。あちらでは基本的にシーズンごとにプレイする競技がちがうので、一つの部に所属し一年中その競技を練習する日本の部活動は驚きだったらしい。高橋校長から野球部の話を聞いた時などには、強いチームのようだから対戦してみたい、というコメントも出ていた。今後いろいろな部活動での交流も実現できれば面白いのではないかと思った。

 わずか三泊の滞在だったが、先生方からのいろいろな話や、また授業や集会での生徒達の態度・表情から、学校の雰囲気を知ることが出来たと思う。まだまだ見えない部分もたくさんあるかも知れないが、今回接した生徒達からは、甘えのなさというかプライドのようなものが感じられた。

 約五ヶ月が過ぎ、十月の百周年記念式典に際しては、ミネハハから先生・生徒達を招待した。来日の日は台風接近に遭遇してしまい大変な思いもさせてしまったが、翌日の秋田への飛行機の中では、生徒達は事前に準備してきた日本語のあいさつを練習したり、いろいろな言葉を日本語では何と言うのかをしきりに質問してきたりと、積極的に楽しみながら日本語を覚えようとしている姿が微笑ましかった。

 本荘高校での歓迎会のことは、生徒・先生共々非常に感激していたようで、この歓迎ぶりをぜひ帰ってから伝えたいと、放送部が撮影したビデオをダビングしてもらったほどである。百周年記念の行事が多い時期で、普段の授業や学校生活の様子は見てもらえなかったが、先生方に校内を案内した際、ちょうど休み時間になり生徒達が笑顔で話しかけてきたことをとても喜んでいた。

 百周年記念式典の際にミネハハアカデミーのことが紹介され、オニール校長先生からの挨拶があったが、これまでの同窓生の培ってきた百年という歴史の深さや、今回海外の学校と姉妹校提携を決めたというパイオニア精神に対して敬意を表する内容で、聞いている私達にあらためて本荘高校に対する誇りを感じさせるような言葉だったと思う。五月の訪問や今回の訪問の中でお互い様々なことについて話をし、感じることが出来たからこそこういった言葉で表してくれたのではないだろうかと思った。

 姉妹校提携一年目は、五月の訪問も十月の招待の際も、ともに短期間であったにもかかわらず、中身の濃い、学ぶべきことのたくさんあるものだった。しかしこれは最初の一歩で、この貴重なつながりを双方が大いに活かしていくことがこれからの使命ではないかと思う。