日本病克服へ気概持とう

毎日新聞 主筆木戸湊

 明けましておめでとうございます。新千年紀の初日の出は、ご覧になりましたか。キリスト教暦2000年の今年はユダヤ教暦では5760年、仏教暦では2544年に当たります。気の遠くなる歳月ですが、日はまた悠々と昇ってきます。人間の営為のはかなさを感じる瞬間ですが、やがて山も海も茜色に染まり始めると、これからの1000年で、たとえ人類が宇宙で住むようになっても、街にクローン人間が現れても「われわれの故郷は地球以外にあるまい」との思いが強まります。

 これから21世紀論に拍車がかかる。しかし、激動と進歩の時代に100年単位の論議は実感が伴わない。スタートの四半世紀くらいが妥当なところだろう。
 作家、水木楊氏に「2025年 日本の死」という近未来小説がある。政界の混迷が長引き、官僚の横暴で内、外政が行き詰まって国際的に孤立、独裁者が登場、国家威信をかけて核武装にとりかかる。危機感を抱いた中国にミサイルを撃ち込まれて、ギブアップ、「平穏の江戸時代が懐かしい」と国を挙げて農耕漁労生活に戻る。かくて、めでたく日本は眠るように死んでいく。
 初めはブラックユーモアかと思ったが、このところ妙に現実味を帯びてきた。
 戦後ずっと「坂の上の雲」を仰いで働いてきた日本人は、いま、バブル崩壊とグローバル化のダブルパンチを浴ひて、霧の山中で立ち往生。政府は公的資金を注いで対症療法に努めているが、確たる政策で進路を示せないため、国民は遭難を恐れて足を踏み出さない。 バブル崩壊は、身から出たサビ。だが「市場の論理」万能のグローバル化はどうか。時として、各国の事情や経済格差を無視して押し寄せるグローバリゼーションの大波におぼれかかった国は多い。断固拒否したマレーシアの例もあるが、わが国も伝統や独自の価値観を加味して、もっと柔軟なシステムの構築ができなかったか。政財界リーダーたちの責任は重いし、雇用創出やニューエコノミーの創造が急がれるべきだ。
 だが、いつまでも失ったものを数えるよりは、残ったものをバネに立ち上がる気概こそ大切だ。日露戦争の膨大な外債を、生糸とコメだけで営々と完済した明治人。テレビの深夜放送や繁華街のネオンまで消してしのいだ1970年代の石油危機。先例はある。やがて霧が晴れれば、地平線のかなたに曙光が見えてくるに違いない。
 冷戦終了後10年たったが、世界各地では宗教や人種が原因の内戦、紛争が相次ぐ。そして米国は軍事力とカネをバックに、民主主義と人権のフロンティアを拡大しようと介入を続ける。これに対し、冷戦終結の立役者、ゴルバチョフ元ソ連大統領は言う。「われわれは新世界秩序については語り合ったが、世界を管理する権限まで米国に与えた覚えはない」。昨年来の中露首脳会談や世界貿易機関(WTO)会議からもうかがえるように、米国の一極支配に異を唱える声が高まりつつある。
 また、グローバル化に対抗、伝統的価値観にアイデンティティーを求める原理主義の台頭も目覚ましい。21世紀の地球はグローバリズムと原理主義の2大潮流が対峙、激突する様相を呈しつつある。わが国リーダーたちの先見性が問われる局面だ。
 英国通の中西輝政教授(京大)によれば、20世紀初頭、爛熟から衰退にさしかかった大英帝国では、マンガ、グルメ、温泉ブームに失楽園現象や怪しげな新興宗教が大はやり。「克己心の低下」「快楽の追求」はいまの日本に酷似していたという。80年後、この「英国病」を治したのが、サッチャー元首相。
 サッチャー氏の処方せんを要約するとこうだ。「自由には厳しい自己責任が伴う」「誰にもよりかからぬアイデンティティーの確立こそ」。ポピュリズム(大衆迎合主義)に流されない政治家の理念が読み取れる。
 特派員だった二十数年前、豪州ブリスべーンの小学校の女性教諭と機中で隣り合わせた。
 「日本では新1年生にまず何を教えますか」
 「『あいうえお』と『数字』ですね」
 その小学校では1カ月かけて、バクテリアから人類誕生に至る悠久の時間と、大宇宙のちっぽけな惑星である地球の中に、けし粒みたいなブリスべーンがあることを教える。このはるかな時空が、たまたま一点で交わって、みんなはこの教室に集うことになった。「これは奇跡以外の何ものでもありません。だから仲良くしましょう」と話すのだという。
 「1年坊主に、そんな難しい話が分かりますか」
 「いえいえ、目を輝かして聞いています。だから、いじめなんて皆無なのよ」
 幼子に、まず人間としての座標軸を示し、命の大切さを教え、さらに愛や友情や連帯まで予感させる素晴らしさ。一期一会と言うべきか。21世紀に向けて、こころの荒廃と「日本病」の治癒は、このあたりから始めなければ駄目なのかもしれない。


2000.1.1.毎日新聞