毎日新聞1999.12.5

時代の風
寺島実郎氏 三井物産戦略研究所長

コンピューター化の浸透
「脳力」磨き、生きる糧に

 札幌での仕事の後、室商工業大学を訪れた。学生・社会人向けの夕刻からの特別講座ということで、大教室には田頭博昭学長をはじめ相当な数の人が集まっていた。私が話を始めて十数分後、思いがけぬことが起こった。全学停電ということで、すべてが真っ暗になったのである。それからの展開が興味深かった。2人の学生、それもネパールとマレーシアからの留学生が、暗闇の中をどこからともなく、ランタン型の小さな照明機とハンドマイクを持つてきた。日本人ではなく、外国人学生がみせた危機管理の瞬発力には驚かされた。いつ電気がつくか分からないので、講演を続けてくれということで話を再開、暗闇に向かって1時間以上も話し続けることになった。話し手はメモを見ることができず、聞き手もノートもとれないという状態での講演に最初は戸惑ったが、不思議と集中力が高まってきた。
 「時代認識と進路」について話をしたのだが、静寂な暗闇の中で浮かび上がるイメージのままに思索しながら話し続けると、我々が置かれている時代ヘの問題意識が深まり、言葉が凝結し始めた。聞く側も水を打ったように、静かに聞いていた。講演が終わる10分ほど前に電気がついたが、若い学生の反応に格別の充実感で、室蘭を後にすることができた。
 我々は、暗闇に思索することとは縁遠い「文明」という名の雑念の中に生きている。本人は意識していないが、程度の差はあれ、分裂症ともいうべき思考の拡散の中にある。現代人はテレビさえ、落ち着いて一つのチヤンネルを見続けることができず、リモコンをせわしなく動かして、多チャンネルを同時に見る「ザッピング」(飛ばし見)型の視聴となりがちである。自分の頭で考えることもなく、喧騒の中で追い立てられるように日々を繰り回している。
 私自身の時代認識を深める意味で、早稲田大学の大学院アジア太平洋研究科と県立宮城大学で客員教授として、集中講義をしている。学生との対話を通じて痛感するのは、この時代を生きる若者も大変だな、ということである。
 圧倒的な情報量の中で、何を優先させるべきかの思考と判断が、できなくなってきているからである。しかも、判断の参考となるはずの大人社会の先行モデルが動揺しており、一体どんな大人になっていいのかが見えてこないのである。このことを真剣に考えてみると、「大人社会はしっかりしろ」といった道義家の精神作興論では対応できない本質的な社会変化が、背景にあるように思えてならない。
 注目すべきは、情報技術(IT)革命が雇用に与えるインパ
クトである。第3次産業革命という表現もあるごとく、IT革命はあらゆる産業の現場を変えつつある。その先行モデルたるアメリカの現状を見ても、製造業も流通業もIT、つまりコンビューターのネットワーク技術の導入によって生産性を高め、コストを削減し、それがアメリカ経済の「インフレなき継続的成長」を支えていることは間違いない。しかし、現実に企業活動の現場で進行していることは、単純に楽観できるものではない。
 例えば、製造業の生産現場ではIT化によって熟練とか年功の意味が消失しつつある。20年以上の熟練を要するとされた金型の生産にしても、ITを駆使した三次元設計によって、新入社員の技術者でも瞬時に対応できるものになってしまった。また、ほとんどの職場ではコンピューター化の浸透で、従来は年功者による業務の習熟で対応してきたものが、パターン化・マニエアル化で「誰にでも同じようにできる」業務になってしまった。若いOLが「パソコンも使えない年長者」に見下した眼差しを向けている姿は珍しくない。
 しかも、情報化がオンライン・ネットワークとなって展開されると、次第に中間管理職は不要になる。中間管理職は「情報の結節点」として、現場と経営幹部をつなぐ回路の役割を果たしてきたわけだが、IT化によって現場と経営が情報面で直接つながりはじめ、中間管理職の役割は相対的に低下していく。「リストラ」というと、市場競争の激化によるコスト削減という狙いが強調されがちだが、大きな潮流としてIT革命による中間管理職の役割低下が背景にあることを注目すべきである。
 技能を磨くとか、職場で努力を積み上げるということは、これまでの企業社会にとってかけがえのない価値であり、それによって職場のタテ社会の秩序が成立していたのだが、ITによるマニュアル化した労働が常態化すれば、働くことは誰にでも代替可能な無機的なものとなり、働く喜びとか価値は相対的なものとならざるをえない。仕事の現場は、経営エキスパートとそれを取り囲む技術専門スタッフという創出付加価値の高い少数の職種と、マニュアル型労働に従事する大多数の職種とに二極分化していくであろう。
 こうした潮流は、社会総体の人間関係を変えていくと予想される。既にその兆候は表れているが、Eメール友達の関係のごとくフラットな人間関係、つまりタテ社会のストレスのない無機的な人間関係が主流となりつつある。組織の階層に支えられた人間関係は、次第に消失しつつある。このことは「いい大学、いい会社」的人生設計の無意味化を意味する。だからこそ、人生の「創造性」の充足帰属意識に過剰に期待し依存するのではなく、自分の頭で考え、行動すべきなのである。考え抜く力としての「脳力」が試されている。そしてその思考の中から、かけがえのない人生のためには「生計を立てる」だけではない「地域や時代や社会ヘの参画・貢献」が大切なことが見えてくるはずである。
 改めて、100年近く前の1901年にロンドン留学中の夏
目漱石が日記に残している言葉を思い起こし、かみしめたい。
 「未来ハ如何アルべキカ。
自ラ得意ニナルナカレ。
自ラ棄ルナカレ。
黙々トシテ午ノ如クセヨ。
孜々トシテ鶏ノ如クセヨ。
内ヲ虚ニシテ大呼スルナカレ。
真面目ニ考へヨ。
誠実ニ語レ。
摯実ニ行へ。
汝ノ現今ニ播ク種ハヤガテ汝ノ収ムべキ未来トナッテ現ルベシ」