2000.5.3 毎日新聞 深層への思考
猪木武徳氏(いのきたけのり1945年生まれ。)
大阪大教授(経済政策)。著書に「学校と工場」「日本の近代7 経済成長の果実」など。

少子化の経済原理

マルサスも予想外の「子供を持つことの費用」

 「少子化」という言葉が、最近ではごく普通に使われるようになった。人間は何にでも馴れる動物だと言われるが、この言葉の響きにも、その意味にも特に違和感を覚えなくなってしまった。日本が「少子化」社会となり、総人口が2OO7年頃をピークにその後は単調に減少するという推計にももはや驚かない。西暦3OOO年には、日本人は159人しかいなくなると言う人がいても、馬鹿馬鹿しい計算だと一笑に付すほどである。
 専門的な用語を使うと、再生産年齢(一般には15歳から49歳)にある女性の各年齢別特殊出生率を合計した「合計特殊出生率」は、日本の場合l・38と目立つて低い。スぺイン、イタリア、ドイツなど、日本よりも更に低い国もあるが、主要工業国のなかでは最も低いグループに属する。ひとりの女性が再生産年齢を経過する間に、平均してl・4人以下しか出産しないわけであるから、人口の減少は火を見るよりも明らかである。

 かつて縄文早期の日本列島には、2万人ほどしか人間がいなかったと言われる。その後、安土桃山時代には1200万人を突破、18世紀に入ってからは人口減少を記録した時期もあったが、幕末までは3OOO万人を少し超える程度で日本の総人口は推移したようだ。人口1億人を超えた高度経済成長真っ只中の1967年には、アブラムシの大群のように日本人が「ウヨウヨ」する時代が到来すると語る者もいた。深沢七郎が「人類減亡教」と称して「東京都五十人説」を宣伝したのも、「限りなく膨張する日本人口」というイメージのまだ強かった時代のことである。深沢は、人が増えれば空気も水もキタナクなる。川も海も汚染される。これも、人数を少なくすれば自然に清くなる、ととぼけたのである。
 その後、第1次オイルショックを境に「合計特殊出生率」は2を切り、人口減少ヘのべースが整う。もちろん人口の自然増減は、出生だけでなく死亡によっても規定される。日本人の平均寿命の方は、男女ともその後延ひ続けたわけであるから、総人口そのものも、なお増加し続けたことは言うまでもない。ところが2OO7年あたりで、その総人口が減少へと転じるというのである。

 まず出生率が落ちたことの最大の原因は、結婚年齢が遅くなったり、未婚者が増えたことにある。「国勢調査」のややドラマティックな数字をあげよう。日本人の35歳から39歳までの年齢層に注目して、その未婚者の割合を調べる。30代後半層で、男性22・61%、女性10・04%という数字である。ほば一世代前のl97O年の「国勢調査」では、この数字が男女それぞれ4・67%、5・80%であった。緩慢ではあるが、四半世紀の間で大きな社会的変化が起こっていたのである。
 「少子化」はほとんどの先進国で見られる現象であり、多くの国で児童手当等の社会保障制度を用いて出生率をいかに上げるかが重要な政策課題となっているから、日本特有の問題ではない。ハンガリーでは、三人の子供を持てば、同国の年間平均給与の半額に等しい手当が支給されるという。

 子供の数が少なくなったことについては、現代の経済学が明快な説明を与えている。かつて『人口の原理』で悲観的な世界像を描いたR・マルサスは、次のように推論していた。所得が生存可能水準を超えると、結婚が早くなり、人々の性行動が活発になる。その結果人口が増える。しかし食糧をはじめ乏しい資源をめぐる競争も激しくなり、結局、所得は生存可能水準以下に落ちてしまう。それに応じて人々は結婚を遅らせるため、人口は減少、その結果として資源獲得競争はやわらぎ、所得も生存可能水準に回復し、均衡状態にもどると説いた。この論理が、後にC・ダーウインの自然選択の考えに決定的な影響を及ぼしたことは、ダーウイン自ら認めるところである。しかしマルサスの理論通りには子供の数は増えなかった。少なくとも先進工業国に関しては、マルサス理論は重要なポイントを見落としていたことになる。
 マルサスが予想できなかったのは、子供を持つという行動が、単に所得に依存するだけではなく、子供を持つことの費用にも依存し、後者が先進工業国では大きなファクターになるという点である。子供を持つことの費用とは、衣食のための支出だけではなく教育の費用も含まれる。この教育費がいずれの先進国でも家計支出の中で大きな割合を占めるようになった。しかし実は、更に大きな隠された費用がある。それは家庭の外で仕事をするのではなく、家事や育児といった家庭内の仕事に専念した場合に失なう所得が、「子供を持つことの費用」として大きくなったことである。この隠された費用は、経済学では「機会費用」と呼ばれる。

 マルサスが、所得の上昇に応じて子供の数が増えると論じたことは、その限りでは正しい。しかし子供を持つことの「楽しみ」には費用が付随し、その費用が高度産業社会では途方もなく大きくなってしまったことをマルサスは予想できなかったのである。
 社会現象も経済現象も決して単線的には進まない。振り子は右に揺れた後は、必ず左ヘ振れる。したがってあと1000年すれば、目本列島に日本人がl59人しか棲息していないという先の話はもちろん奇怪な笑い話にすぎない。
 医学と医療技術の進歩によって寿命が延びたことは有り難いことだが、有り難迷惑と感じる人もいるかも知れない。乳児死亡率についても、日本は世界で最も低い国のひとつになった。一部途上国では、いまだ新生児の10%が出生後l年の間に死亡しているが、日本ではわずかO・4%という低い値である。いかに日本の新生児が、良好な栄養と衛生・医療環境に護られているかがわかる。

 出生率も死亡率も低下し人口が高齢化する。それはしばしば語られるほど、暗い話でも明るい話でもなかろう。日本の少子化と高齢化のスピードはたしかに速いが、それでも、ある日突然現れた異常現象ではない。それにどう対処していけばよいかは、試行錯誤的にではあるが、なんとか切り抜けていく(muddling through)という方策しか考えられない。それがリべラル・デモクラシーの智恵であろう。したがって、合理的な計画主義の「人口政策」こそをむしろ警戒すべきであろう。なんとか切り抜けていくという姿勢は、決して無責任な傍観者を決めこむことを意味しない。それほどに人口問題には、測り知れないような複雑な構造と私的領域が含まれている。国家が介入することによって、最善の解が得られるような単純な問題ではないのだ。正解が見つからなくても、問題の深刻さを知っているということだけでも、事態の進展は異なってくる。その点にこそ将来ヘの希望を見出すべきだろう。