毎日新聞2001.8.19 深読み日本史 斬る・撃つ 中

刀は戦場の主役ではなかった

 黒沢明の映画『羅生門』は、旅の男が山道で盗賊に襲われ、妻を含め、すべてを略奪されてしまう話である。原作は芥川龍之介の短編『薮の中』。その芥川は、12 世紀初めの『今昔物語集』の説話から、この小説を書いた。

 説話では、妻を連れて丹波(京都府北部) に向かう男が、山道で出会った男の口車に乗

せられたのが、災難のきっかけとなっている。彼は、男が持つ「陸奥国の名刀」が欲しくなり、不用意にも自分の弓矢と交換する。このため弓矢を手にした男から脅迫され、縛られてしまうのである。説話は「山中で見知らぬ男に弓矢を手渡すとは、何と愚かなことか」という教訓で終わっている。ここには当時の「武器の序列」が示されている。弓矢の前に刀剣は何の役にも立たないというのが、常識だったのである。

 近藤好和さんが『今音物語集』の戦場の場面を調べたところ、騎馬合戦の主役は弓矢であり、刀剣の使用例はゼロに近かった。刀剣 を使うケースは、主に日常のけんか、護身、強盗などに限られていた。鎌倉時代の『平家物語』の記述でも、弓矢が使えない場合、武士がまず頼るのは槍や長刀(なぎなた)で、それらも駄目な時に初めて日本刀が登場する(吉川弘文館『弓矢と刀剣』)。接近戦で敵に肉薄すればするほど、どちらかが首を取られる運命に近付いていく。そんな状況はできる限り避けるのが人間の本能だろう。「騎馬武者たちが刀を交えて死闘を演じるといった時代劇の光景は、後世の空想に過ぎない」と近藤さんは話している。

 室町時代以降も同様である。鈴木真哉さんは、当時の戦場の報告書から、兵士たちの負傷原因を分 析した(平凡社新書『刀と首取り』)。1467年の応仁の乱以前のl24年間に記録された計554人の負傷原因は@弓矢が86・6%A切り傷が8・3%B石や礫(つぶて)による傷が2・7%だった。実に9割は「飛び道具」による。

 応仁の乱以降、鉄砲伝来を経て島原の乱(1637年)までの170年間の計1461人の負傷原因は@弓矢が41・3%A鉄砲が19・6%B槍などが17・9%。刀傷は3・8%しかなかった。それまでの弓矢の役割の一部を鉄砲が肩代わりしているわけで、やはり主役は飛び道具である。

 ここからうかがえるのは、自身は安全な位置に身を置いて、敵に損害を与えたいと望む「遠戦志向」である。弓矢から鉄砲ヘの流れが戦場の主役だったとすれば、飛び道具を「卑怯なり」と軽蔑するこれまでの武士のイメージは、相当な修正を迫られそうだ。

 なぜこうした錯覚が起きたのか。近藤さんは、約300万本と言われる刀剣の遺品の圧倒的な多さを挙げる。美術品でもあった日本刀に対し、弓矢は修理して再利用するより、新しく作る消耗品だったから後世に残りにくかった。

 一方、鈴木さんはこう語る。「戦国の武士には殺した敵兵の首を狩る慎習があり、戦功は敵兵の首によって確認された。日本刀は武器としてよりも、主にこの首取りに使われたのです」。−−では、命を借しまず、肉弾戦を恐れない近代以降の日本兵の伝統は、どこで生まれたのだろうか。          【大島透】