2001.8.30秋田魁新報 時評欄

 

失業率上昇の意味するもの

    佐々木毅

 


 昨今の日本では、経済の拡大によって諸問題の解決を図るという高度経済成長以後の手法ははっきりと天井を打った感じがする。経済は拡大するどころか、現実には縮小している。デフレが進み、経済がマイナス成長であるということはその端的な実例である。工場の海外移転、特に、中国ヘの移転は急速に進んでいるが、これもまたわれわれの職場が縮小しつつあることを示している。日本を代表する総合電機メーカーが相次いで一万人を超えるリストラに踏み切るという報道は、この縮小傾向が経済の骨格部分にまで至ったことを物語っている。案の定、二十八日に発表された完全失業率は調査開始以来初めて5%になり、有効求人倍率も〇・六倍と悪化した。これらの数字に対しても、現実はもっと厳しいという声がある。製造業の就業者は一カ月の間になんと五十八万人減ったというように、まさに日本の産業の骨格部分において雇用が急速に崩壊していることが裏書きされた。

 失業率についていえば、かつて日本に劣らず失業率の低かったヨーロッパ諸国にしても、10%近辺の失業率が十年近くにわたって続いている国も少なくない。

それはEUの通貨統合のために緊縮財政を実施し、景気を意識的に減速させたことと関係がある。イタリアの財政がどんどんと健全化したことに見られるように、そこでは失業率の高さは財政の健全化と表裏の関係にあるといえよう。ところが日本の場合には、財政赤字と金融政策が限界に達し、しかも、失業率がこれから上昇するというのであるから、事態は極めて厳しい。いわば「底が見えない」状態だという声があがっても仕方がない。

しかし、問題は雇用の量的縮小にとどまるものではない。いわば、雇用の質的変質が同時に進行している。例えば、年功制や終身雇用制にしても、企業の寿命が一般に個人のそれよりもはるかに短くなるという傾向を考えると、そもそも現実味がなくなる。その意味で職の安定性が失われることは覚悟しなければならない。職場の移動は珍しくなくなり、それに伴って、年功制や終身雇用制などは逆にマイナスに働くことになりかねない。また、再就職にとって年齢が大きな障害になっているが、同時に、いわゆる新卒が就職に有利な時代は終わりつつあり、身についた技能に着目する中途採用がそれを押しのけて急速に拡大しつつある。その結果、若年層の失業率が高くなるという構造が見え始めている。雇用の仕組みの構造変化をどう政策的にこなすかが政治の課題であるが、現実に出てくる政策はいかにも弥縫〈びほう〉策の感じがする。

 もちろん、日本には膨大な額の金融資産がある。しかし、それは国内経済の拡大にはほとんど役立っていない。それを株式市場に誘導し、経済の活性化に役立てたいという意見があるようであるが、経済の縮小がとどまらない状況ではそのシナリオはなかなか実現しないかもしれない。むしろ、金融資産の一部を経済が活性化している地域〈外国〉に投資する方が投資効率がよいという意見に耳を傾ける人が多い。膨大な金融資産がある中で、失業率が高まり、これまでの生活の仕組みがガ夕ガ夕になっていくということは奇妙と言えば奇妙であるが、これが経済のグローバル化の一つの現実に他ならない。

 小泉政権の政策はこうした事態を出発点にしており、こうした事態そのものをあたかも「ないもの」にしようとするこれまでの政権とはっきりと一線を画している。構造改革の「痛み」はそれなりに甘受せざるを得ないというのが基本姿勢であり、非効率的な部分の切除と効率的な部分の強化によってグローバル化に対応しようとしているように見える。このシナリオがどれだけ成功するかは分からないが、雇用問題は経済政策といった範囲を越えてわれわれの生活のあり方や働き方、それを支える価値観の見直しを「強制する」段階に入ったことは間違いない。現在発生している失業率の問題は決して失業率の問題にとどまらないのである。 

〈東大総長・千畑町出身〉