毎日新聞2001.8.19 21世紀の視点

よく働き,よく遊べ

休暇大国ドイツの夏休み  

 

  福田直子 ふくだ・なおこ ドイツ在住ジャ一ナリスト。1960年生まれ。上智大卒後、旧西独の大学で政治学を学ぶ。帰国後、出版社で雑誌編集に携わった後、再び渡欧。近著に『大真面目に休む国ドイツ』。

 


 先日、ドイツ人の知り合いが「山に登ってきた」という。それも「キリマンジャロに登頂してきた」と。確か彼は昨年、お年寄りが多い北のさいはての保養地に行ったはず。それが、今年はタンザニアの標高約六千メートルの山とは!          

 ドイツ人と休暇の話をすると、必ず手応えのある答えが返ってくる。たとえば「中東だったら手始めにオマーンあたりの砂漠で一週間、らくだの旅などおもしろいだろう」という具合に。しかし、テントも張らずに星を眺めながら寝泊りするのが爽快といわれても、普通の日本人からすれば道しるべもない砂漠で道に迷ったら?お風呂は(トイレは)などと、まずいらぬ心配をしがちだ。

 まったく、ドイツ人は休暇のこととなると俄然、想像力が豊かになるようだ。

 高度経済成長期に休暇が増えたことで、ドイツ人の行動範囲は著しく拡大し、後戻りする気配など微塵もない。長年の労使交渉、七〇年代の社民党政権を経て、サラリーマンや公務員には原則として年間六週間の有給休暇が保障されるようになったのである(ただし、管理職や自営業者であれば事情は違う)。

 また、過労は能率を下げる、労働効率は適度の労働時間のほうがよいという研究結果からも、一般のサラリーマンや労働者は、「労働超過禁止法」という過労を防ぐための法律や産業別の組合によって保護されてもいる。

 一方でドイツ人の平均給与水準は、可処分所得でみると、日本人の平均給与より著しく低く、年間のボーナスはせいぜい二カ月が普通である。企業や個人が払う税金や社会保障費用が極めて多いため、一般市民の手取り給料は日本に比べると驚くほど低い。   

いまのところ休みという"アメ" と安い月給の"ムチ"は、ドイツでうまく作動しているようだ。なるほど、ケチで知られるドイツ人をみていると、お金の使い方が日本人とはまったく違う。この国では、有名ブランドのかばんを買うために行列することなど考えられない。価値観がまるで異なっているのである。

 子供たちにも、夏休み中は宿題がまったくない。「夏休みは家族と過ごし、遊ぶべし」という信条では相手をする親も大変だろうが、大人も子供も長い休暇で英気を養ったほうが、休み明けにまた仕事に勉強に打ち込めるという発想である。

 限られた資金しかないドイツ人にとって、せめてもの救いは、所得が高くない家族にも、格安のパックツアーや農場体験キャンプ、一週間単位で借りられる民宿などがいくらでもあることだ。海外に住む友人の家と自分の住宅を、夏休みの間だけ交換することで、宿泊費を削る低予算の旅行もよし。国内旅行でも、日本ほど費用がかかることはない。近くの野山で自転車をこぎ、湖で泳いだり、公園の芝生に寝転んで読書すれば、お金もかけずにくつろぐことができよう。

 とかく日本人は不況下で「休みを削ってでも働く」となりがちだが、ドイツ人の売れっ子経営コンサルタントであれば、まず、「時間内に効率よく仕事の成果をもたらす社員に報酬を増やすべき」というだろう。休みを削ろうとすれば、社員は必ずやる気をなくすはずだ。

 個人レベルでは日本人の知人たちだって、「もっと休みがほしい」と口を揃えるが、会社に対する忠誠心を疑われるのか、不真面目と思われるのを恐れるせいか、おくびにも出せないでいる。だからといって休みが多いドイツ人が不真面目で、会社ヘの忠誠心がないとはいえない。ドイツ人の仕事中の集中力はすごく、時間が借しくて昼食を抜く人もよくいるほどだ。ようは就業時間中をどう使うか、つまり「よく働き、よく遊べ」の精神ではないだろうか。

 一体、人間はどれほどの休暇が必要で、労働するべきなのか。馬車馬のように働いてきた結果が不良債権の山では、多くの日本人が不満を抱くのも無理はない。政治や社会システムが違うといえばそれまでだが、日本人も二、三週間、安心して休暇をとれる道はないのだろうか。