2001.7.16 秋田魁新報 月曜論壇

街と歩行者

安原 盛彦

 「中心市街地」の問題を考える時、まず「中心」という概念を考え直す必要がある。都市、街において「中心」という概念が変わってしまったのだ。かつての街の「中心」地を占めることが街の「中心」を意味しない。旧「中心市街地」の活性化は新しいまちづくりなのである。

問題なのは「中心」とは場所ではなくなってしまったこと、場所を超えてしまったということだ。人や建物が集まらなくても「中心」ができる。パソコン、携帯電話(これは電話という機能を超えた情報端末である)がそのことに大きな影響を与えている。例えば、若者の関心の「中心」はケー夕イを通して探られている。それは当初、電話本来の機能である人と人との直接対話が希求され始まったのだ。しかしその機能をはるかに超え、場所や空間とかかわっていく。どこにいても、たとえ自分の部屋に閉じこもっていてもケー夕イ、パソコンを通じて人、物、場所が手に入る。端末のある場が「中心」となりうる。「中心」が個に分解し再集合してゆく。従来のように人、建物が集まることではない新しい「中心」、それはもう従来の「中心」とは異質だが、そのあり方が問われている。

地方の中小都市の旧「中心市街地」がさびれ人、建物など「中心」部の空洞化が進んでいる。本荘市も大学が旧「中心市街地」に置かれたらその活性化が進んだと考えられる。本荘キャンパスに割り当てられたのが一学部だけという偶然の機会によってスケール的にもその可能性があった。まちづくりは一方の大学にとっては夕コ足という不利さがあっても他方の本荘市街地にとっては活性化の絶好のチャンスという場合があり、それを利用すべきであった。このようにまちづくりは多視点でとらえてゆかないとそれぞれの計画が生きてゆかない。都市にとって基本的に重要なことは、歩行者を街の中に留め、引き込むことだ。大学は学生、教職員という多数の歩行者を抱えておりそのチャンスであったのだ。大学が旧「中心市街地」にあれば車での通勤・通学は当然禁止されるから、街が住まわれ、歩くことによって使われ始める。二十四時間稼働の大学町として変身する。

歩行者が街を使うことが必要なのだ。財政、需要などの現実問題を別にすれば女子〈短)大は適している。私が仙台市内で女子学生に地図を描かせて調査したところ、彼女らの買い物は微に入り細をうがち、場所・物で買い分けをしており、街がかなり隅々まで使われていた。旧市街地にはいろいろな時代の建物、小道、緑地、水辺、風景が残っており、郊外の殺風景さに比べて都市的な魅力をまだどこかに保持している。歩行者が戻ってくればそれらが、街が使われる。

本荘市は歩行者をたくさんかかえた施設〈高校、病院など)を旧「中心市街地」から外に出してしまった。と言って打つ手が全くないわけではない。循環バスで多くの拠点を結ぶことだ。市街地と外に出てしまった施設拠点を循環してつなぎ、引き寄せる。お年寄りから子供たちまで歩くこととバスを使うことによって、街を使うことができるようになる。大げさに歩くことではなく、散歩やぶらぶら歩き、ひと休みができる街が求められている。

学生の自主研究の指導を通じ本荘市内の排水溝のような大沢川を水路、遊歩道、樹木と草花の道で構成、再生することを提案した。また石脇通は道幅を広げず、通りに直交する車の通れない細い道を倉と水のある景観を壊さないように整備し、光や風を通し遊歩道ともつなげ、災害時には車は役に立たないので、その際の山、川どちら側ヘも逃げられる避難道にも生かす提案をした。これらの考え方をつなげているのは人間の自らの足で歩くという行為である。歩くことで街全体がつながってゆく。

(やすはら もりひこ 県立大学教授、本荘市住)