毎日新聞2000.11.26
 
時代の風
寺島実郎 三井物産戦略研究所長

未来社会の便益とコスト

問われる「分配の基軸」

 今、日本社会が底知れぬ混迷感を深めているのは、「分配の基軸」が見えなくなっているからである。便益の分配とコスト負担の配分、それが社会秩序の基本であり、いかなる社会においても、それこそが体制の正当性にかかわる重要事項である。戦後の日本社会には、曲がりなりにも社会システムの安定をもたらす分配の基軸のようなものが存在してきた。分配を巡る暗黙の了解というべきかもしれない。それが音をたてて崩れつつある。

 一つは、企業内の配分における「年功序列型配分」の崩壊である。右肩上がりだった経済環境を背景として、企業は階層型組織構造を維持することができ、その中で従業員に対し年功序列型の配分を続けてきた。「来年は今年よりも良くなる」という期待がおおむね満たされ、多くのサラリーマンは収入(賃上げ)と昇進の両面で一定の満足感を味わうことができた。しかし、冷戦後のグローバルな市場化の潮流の中で、サラリーマン社会における右肩上がり幻想は完壁に砕け散った。
 中間管理職ほど当惑と動揺は深い。IT(情報技術)革命の進行によって、経営管理システムは徹底した効率化に向かい、「中間管理職を必要としない経営」が現実となりつつある。企業は競争激化の中でのコスト削減のしわ寄せを、まず管理職の雇用体系の見直しに求め、子供の教育などで最も金のかかる時期に「賃下げ」の悲哀にあえぐことになっている。都市中間層の不安と焦燥は臨界点に近づきつつある。
 二つは、社会的配分における暗黙の了解の崩壊である。それは、「都市と農村」「中央と地方」との間の配分を巡る動きを注視すればよく分かる。戦後の日本にあっては、「平等志向の民主主義」が浸透し、誰もが「健康で文化的な生活」を営みたい、という理想論が、誰もが営むべきだという主張となって定着してきた。これまた「右肩上がりの経済」が前提となって成り立つ共同幻想であった。そうした中で、産業の集中した都市で集まった税金を地方(農村)に配分するというシステムが常態化した。その具体的回路の一つが「公共投資」の配分であった。
 究極の戦後型配分というべき事例が、竹下政権下で実行された「ふるさと創生」資金の分配であった。なにしろ、全国すべての市町村に1億円ずつ配分したのである。今にして思えば、何とも大味な不思議な配分であるが、「すべての地方に均質に配分する」ことを中央集権的に実施するというパターンが見てとれる。こうしたパターンの配分に対して、都市住民を中心に「NO」の意思表示がなされ始めているのである。
 今夏の総選挙において、「公共投資バラマキ」批判が争点として浮上し、都市部での支持を得たのも、あるいは、東京都知事が「外形標準課税」による特定法人税の徴税強化構想を発表し、都民の拍手を得ているのも、これまでの分配に対する都市住民の否定の表現として興味深い。

 「分配の基軸」の動揺は、東京のサラリーマンの深層心理の変化を想像すれば理解しやすい。昭和30年代以降、戦後復興から高度成長ヘの流れの中で、産業化が集中した東京は、全国の「田舎」から若者を労働力として吸収した。急速に人口が肥大化し始めた東京は、その外延に団地とかニュータウンを建設し、サラリーマンの居住地を造った。
 そのころの流行歌の多くは、春日八郎や三橋美智也の歌を代表格として、「東京にやって来た者」と「田舎に残された者」の心の応答歌であった。残してきた「田舎」との心理的葛藤がテーマだったのだ。
 こうした東京のサラリーマンにとって、盆暮れに帰省する故郷で目にする風景が、道路や公民館や文化施設などの建設によって、少しずつ「近代化」されていくことは、素直な安堵であった。肉親や兄弟を残してきた田舎も、「少しはよくなっている」という実感は喜びであり、産業と人口が集中した都市から集めた税金を、地方に配分することに何らの疑念も抱かなかった。

 ところが、199O年代を通じ、東京のサラリーマンの心理は急速に殺気だち、配分ヘの寛容さを失い始めた。何よりも、グローバルな競争主義・市場主義の浸透の中で、分配の格差は当然とされ、大部分のサラリーマンにとって、右肩上がりの配分は期待できなくなった。自分自身ヘの配分が厳しくなったのである。また、田舎(地方)ヘの共感も失い始めた。帰るべき田舎がなくなったからである。
 東京のサラリーマンたちも、東京生まれの2代目、3代目となり、盆暮れに帰省する田舎はなくなった。田舎は、観光で訪れる先か遠い親戚の住む場となり、田舎ヘの配分についても冷淡になってきた。「東京で集めた税金を東京のために使って何が悪い」という心情が芽生え始めた。
 我々は熟慮の上に、分配の基軸を再構築しなければならない所に立っている。その際、「市場主義の徹底」だけが分配の基軸になるとは思えない。市場競争だけに任せて「強い者はより強く、弱い者はより弱く」というのであれば、社会の安定は望めない。  
 また、人口の優位を利して「都市による都市のための政治」を実現すればよいというのであれば、地域間格差が深刻な社会不安を招きかねない。もちろん日本の場合、官による過剰な規制は排除されねばならないが、適切なバランス感覚が求められるのである。
 何を価値基準に分配を行うか。未来社会の基本設計には、不可欠な要素である。実は、このテーマにこそ、ガバナンス、すなわち統治能力が求められる。配分を仕切るには、納得を得られる権威が必要だからである。政治・経済の指導者は、新しい時代の「公正な配分」についての考え方を提示しなければならない。
 国民もこのテーマから目を背けてはならないのである。